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「デザインを消費させる場の確立」という確固たる目的のもとD&DEPARTMENT PROJECTを遂行し続けるデザインプランナー、ナガオカケンメイさん。先日、自身のPROJECTの一貫でもあるD&DEPARTMENT PROJECT OSAKAを南堀江にオープンしたばかり。そんなナガオカさんの今までとPROJECTのこれからについて伺った。

デザイナーを志したきっかけ>>>

もともと建築志望だったんです。高校入る前から建築家になりたくて、地元の工業高校の建築学科に入ったんです。そこで文化祭のポスターを作ったり、マーク製作などの公募にことごとく入選したり、レタリングがものすごく好きだったりと、自分でもそれがグラフィックだっていうことを知らないでやってました。授業でも一番楽しかったのは製図の時間で、その当時、ロットリングで図面引いてたのは僕だけ。要は文房具的な部分が好きで、いわばグラフィックデザインって道具じゃないですか、そうゆう道具を持ってしてデザインをする、製図を描くということ自体がすごく楽しくて、気がついたらグラフィックが好きになってたんです。
 それで高校卒業した後、いきなり東京に出て就職したんですよ。印刷会社の企画室に。そこで不動産のチラシを作ってたんですけど、不動産のチラシを作る会社だということは全然知らずにグラフィックデザイン事務所だと思って入って(笑)。でも不動産のチラシ作るのが楽しくて楽しくて仕方なかったんですよ。最初は色指定の方法もわからないし、紙見本とかもそこで初めて触ったんです。当然、コンピュータなんかない時代でした。

 僕が高校3年生の時、X'masプレゼントで親に唯一せがんだのが「アイデア」という雑誌で、そのアイデア188号をとにかく宝物のようずーーーっと、最後にはぼろぼろになるんですけど、それをずーっと持ってその時は生活してました。その会社には、当然そんな雑誌はなかったので、挫折しそうになっては自分が持っている本を見てました。そうこうしているうちにだんだんそこに載っている田中一光さんや永井一正さんの経歴を見ていると、なんか「日本デザインセンター」という名前が出てくる。で、なんだろこれはとか思って。それまで、最初はただの若造で丁稚奉公のようにデザインをやっていたんですけど、就職4年後くらいからはやけに色気づいて、東京にはADCとか、PCCという団体があるとか、他にもいっぱいデザイン事務所があることを知り、サンアドに行きたいとか、日本デザインセンターに入りたいだとか。要は自分が働いている場所が不動産のチラシを作っている会社だってことになんとなくじゃなくてもうはっきりと気付いて、それまでは、いちグラフィックデザインとしてものすごく追求してたんですよ。自分の中で。それがたまたま不動産のチラシだっただけで。でもB倍のポスターの存在を知ったり、いろんなデザイナーがいるとか、そういうのを知っていくうちにサンアドだ!と思って、サンアドに入ったって嘘をついてなんとかその会社を辞めたんです。

 でも会社の同期のデザイナー達は「うちの会社からサンアドに行く奴がでた!」といってものすごいお祝をしてくれて。「名刺くれよな!名刺くれよな!」って言われて、やば〜い!と思った(笑)。それでサンアドを受けにいったんです。当然、断られますよね。作品見せろっていわれても不動産のチラシしかないんで。でも不動産のチラシだったら3、40種類くらいあって、僕はそれを、それだけを延々に面接の時に見せたんです。当然、落されるんですけど、それからは通いました。7回通って、ようやく入社できたんです。けど、その後すぐ退職して、辞めてからは完全に色気づいているので、名のあるところは門を叩き、アルバイトでも何でもいいからと言って…今考えると刺激を受けたかったんです。ピラミッドフィルムに行ったりだとか、コムデギャルソンに行って川久保さんに会ったりとか。そんなことを点々としてからマッキャンエリクソン博報堂という会社にアルバイトとして入って、そこで全然仕事のやり方が違うということに気付き、本物ってこんななんだという体験をした。

 その後は23、4の頃に自分でプランを考えて、プレゼンをする機会があって、でも自分で考えたアイデアをプレゼンする時、クライアントを目の前にすると上がってしまって、プレゼンが出来ないということに気付いたんです。もうそれはどうしようもなかったんですよ。その当時。デザイン=プレゼンだ!プレゼンが出来ないのならデザイナーになれない…と思って一旦、辞めたんです。デザイナーを。仕事を辞めて田舎に帰って、それで喫茶店に就職したんです。なんで今考えたら喫茶店に就職したのかはわかんないんですけど(笑)お客さんと話せると思ったんでしょうね。4年間、喫茶店の正社員として働きました。ずーっと料理作って、僕、厨房だったんです。来る日も来る日もオムライスを作ってました。4年間、オムライスを作りながら、方や色気づいてるので、雑誌も流行通信やVOGUEを見たりとかして。

 その時、朝日広告賞があるっていうのを知り、知り合いのコピーライターと、一緒にやろうよということになって。喫茶店のテーブルで何案か作って出したのが89年の準朝日広告賞をもらったんです。たまたま組んだコピーライターの紹介で原研哉さんや永井一正さんに会える機会があって、当時憧れていた「日本デザインセンター」に入ることができたんです。でも配属されたのが野村不動産のチームで「また、不動産かよ〜」という状態。一番最初にやったのが新聞の不動産の欄で、チラシよりグレードアップしたけど、また同じだよ〜って感じで、でもそれに関してはえらい手慣れてて(笑)。
 その頃、僕はグラフィックデザイナーという肩書きだったんですけど、ある人にデザインプランナーって言う肩書きの名刺を渡されて、すごく自分に合ってると思ったんです。プランナーって言う肩書きってその時なかったんですけど、デザインでプランニング。なんて素敵な職業があるんだと名刺一枚に凄い衝撃を受けました。名刺一枚で人生が変わったってぐらい、自分が探し求めてきた職業はこれだ!と思いましたね。それでデザインプランナーになりたい!と会社に言い続けて、デザインプランナーという肩書きの名刺を手に入れました(笑)。それからは「竹尾ペーパーショー」をただの展示会でなくもっとかっこよくしましょうと自主プレゼンしたり、デザインの現場という雑誌の連載を自主プレゼンしたりして。とにかく企画、企画の日々でした。

D&DEPARTMENTが出来た経緯>>>

グラフィックの仕事してると、デザインナーってこだわるじゃないですか。例えば、ポスターを作るにしても色の濃度が濃いとか薄いとか、印刷立ち会いに行くと色合わせなどでものすごいゴミが出るんです。グラフィックデザイナーが出している産業廃棄物ですよね。そんなことしていていいのかな〜と自分で自分がグラフィックデザイナーとしてこだわらないといけないことがヤになっちゃったんです。こだわるがためにゴミを一杯出している。その頃から今の課題でもある「デザイナーって必ずしも新しいものを一から生み出さないとだめなの?」ていう疑問にぶつかって、新しくモノを作らないデザイナー。あるモノを工夫してとか、古いモノを新しくしてとかやっているうちに、これは消費全般に共通する問題だなと思ったんです。でもね、デザイナーって新しく作らないといけないんですよ。絶対。そこには夢があるから。けど、ただやみくもに新しく作ればいいってもんじゃないよ、と言うデザイナーがいてもいいだろなって思って、じゃ、自分はその役をやろうと。それなら新しくモノを作らないで、生まれたモノをアレンジすることがすっごいかっこいいというところまで、どうせ自分がやるんだったらそこまでやって、なんだ、新しくモノを作らないデザイナーの方がかっこいいと思わせてやれーと躍起になってるんです(笑)「どうだ〜、かっこいいだろ〜新しくモノを作らないのは。」って頑張ってるんですけど、結局、リペアとかして爪がきたなくなって、かっこわり〜って感じで。面割れてなっくてよかった〜(笑)みたいな。配達とか引き取りとかも行ってますからね。今、最っ高に楽しいです。どれもちゃんとデザイン活動のつもりでやってるんです。何やってても自分はデザイナー。配達もデザイナー的にはやっぱりかっこよくないといけないから、ベンツの配送車(笑)で大阪ー東京間、東名を走っている時もかっこよくないといけないから、ちゃんとした格好をしないととか、そんなバカなことをしています。配送もかっこいいかもしれないな〜と思わせるように頑張っているんですけど、難しいですね。

結局、僕はデザインの細部にはあまり興味がないということに途中で気付いたんです。色使いだとか、書体の組み合わせだとか。それよりデザインがなぜ、社会で成立してるんだろうかという仕組みにすごい興味があって、展覧会とかも社会の仕組みとして、なぜこういうジャンルがあって、このジャンルがなくて、このジャンルを広めるためにはどうしたらいいだろうかということを考えて企画したりだとか。デザイナーとしてそういうアイデアを考えていきたい。今、僕の中では、売り場を持ってみてデザイナー的な視点でどうやって環境に優しい消費を作るか、というのをテーマにしていて、次の段階では、都道府県みたいなところと一緒にいくつか店鋪を作って、どう機能させて、廃材とか不良品をちゃんと無理なく流通させるかというところを常々、考えています。

クリエイターを目指している人達へ>>>

自分のやりたいことがあって、それを達成するために学校や会社に行くのに、手ぶらでなんかできると思って学校に対して期待して、どっぷりつかっちゃうと、なんだよ〜ってなる。必要じゃなければ、学校だって行く事ないし、利用しないと価値がない。基本的に自分の母校や会社の悪口をいうなんてもっての他で、それは期待しすぎている自分がだめなんじゃないのって話ですよね。だから期待するんじゃなくて自分で自分の進路を決めて、それを習得するために学校に入るとか自分のやりたい事を実現するために会社に入るっていうことじゃないですかね。いつでも自分が主役だってことをわかって欲しいですね。
(text by_emiko kanzaki@opus/photo by_kaori tanimura@opus)

ナガオカケンメイ・・・日本デザインセンター「原デザイン研究所」でグラフィックデザイナー、デザインプランナーとして活躍後、1997年に「ドローイングアンドマニュアル」を設立。1999年よりデザインリサイクルをテーマにしたD&DEPARTMENT PROJECTを10カ年計画で開始、デザインの責任と魅力を追求し続ける。最終的にはホテル「D&MOTELS」を作る予定とか。
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